京大世界史 B 論述-中国史➀-
京都大学受験者にとって、世界史は大きなアドバンテージを得るために必要な科目です。数学や国語が苦手な人にとっては確実に7割を狙いたい分野です。
また、京都大学世界史において古代・近代中国史は頻出分野であり、確実に抑えておく必要があります。
では、今回は、五胡の侵入と南北朝時代に関する京都大学•論述問題を2問紹介します。
京大OP 2014 世界史B問題
4世紀に西晋が崩壊すると、中国は分裂の時代を迎えた。その中で遊牧民の一氏族 が建てた王朝およびそれに連なる諸王朝は、華北に定着しつつ、そこに居住する漢人 の農耕民を支配下に組み込んでいき、後の統一王朝への橋渡しをする役割を果たした。5世紀から南北統一に至るまでの華北の諸王朝の興亡と、この間に新たに導入さ れた諸政策について,300字以内で説明せよ。 解答は所定の解答欄に記入せよ。 句読点も字数に含めよ。
おさらい
--魏晋南北朝時代--
洛陽に入場した曹操が(太平道-張角による黄巾の乱で滅亡寸前の)後漢-献帝から、丞相(総理大臣)を任命され、後の息子-曹丕が後漢を滅ぼして魏の皇帝となり、呉、蜀の統一後に司馬炎によるクーデターで起こった西晋に遡る。(魏→西晋)
この西晋は、五胡の侵入により渭水において水平から南北に及び分裂を迎える。(西晋と呼ばれるのは、後に東の建康に都を移した事から。)
--以降、設問上より渭水より北に着目する。--
五胡のうち力を持った鮮卑(拓跋 氏)が、北魏を築く。拓跋の太武帝が、五胡を統一した後、6代目の孝文帝に平城から洛陽に移し全盛を迎えた。
孝文帝の死後、宇文氏と高氏が台頭し、北は真っ二つに別れる。(北魏→西魏・東魏)
かれこれして、宇文、高がそれぞれの皇帝になる。(西魏・東魏→北周・北斉)
後に楊堅が隋とする。
ポイント
おさらいの流れをそのまま文章に起こせば4論述割の及第点は貰えるだろうが、各時代の皇帝(とりわけ内容の濃い孝武帝)が行った政策や、国が分裂、統一を繰り返す流れ等を触れなければならない。ざっくり抑えよう。
京大はこれのみで良い。
太武帝→五胡(匈奴、羯ケツ、鮮卑、氐テイ、羌キョウ)を統一。漢民族に配慮し、道教を国教にした。
孝文帝→鮮卑の胡語・胡服の禁止(漢化政策)、洛陽遷都、均田制・自治(三長制)